さあ、和紙の旅に出かけよう。

about FUJIKAWA
CRAFT TOURISM

和紙で、つくる。
和紙で、つながる。
そして、つたえる。

つくる。

見学はもちろんのこと、紙漉き体験などの和紙づくりの工程を体験したり、和紙を使ったものづくりを体験していただくことで、より深く和紙の世界を味わうことができます!!

つながる。

国内外から、様々なアーティストの方や和紙愛好家の方が集まってきます。ツーリズム参加をきっかけに新たな出会いやコラボレーション企画が生まれることも!!

つたえる。

和紙づくりの体験や、和紙の特性を活かしたものづくり、アーティストや愛好家とのコラボレーションを通して、伝統ある富士川エリアの和紙を未来へと伝え、新たな和紙の価値を創造していきます。

富士川エリアの
和紙の歴史

西嶋和紙

西嶋和紙は、戦国時代に望月清兵衛翁が伊豆国田方郡立野村(現在の伊豆市)で三椏を原料とした「修善寺紙」の製法を学び、西嶋に持ち帰ったことに由来していると言い伝えられています。
元亀2辛未年(1571年)、西嶋で初めて漉いた和紙を国主の武田信玄に献上したところ、信玄公はたいへん喜んで「運上紙」として認め、西嶋の「西」と辛未に因んで「西未」の朱印をつくり、武田割菱の紋を刻んで清兵衛に賜り、西嶋及びその附近で紙を漉くことと、清兵衛翁を紙の役人に命ぜられました。

第二次世界大戦後、西嶋では画仙紙の製法を開発するとともに、新しい原料として故紙(一度漉いた、三椏等を原料とした和紙)や稲藁をはじめ様々な素材を導入し、現在に至るまで「書道半紙」「画仙紙」を中心に特徴ある高品質な和紙を製造しております。

市川和紙

市川の和紙の起源は、甲斐源氏の時代に遡ります。甲斐源氏の祖・源 義清(みなもとのよしきよ)が市川大門町に居を構えた際、伴ってきた家臣の紙工「甚左衛門」が紙漉き技術を伝授したのが興り、だと伝えられています。

市川手漉和紙は武田氏時代や武田家滅亡後も徳川家の御用紙として幕府に献上されました。
和紙は「美人の肌のように美しい」というたとえで、「肌好」と呼ばれ、和紙職人の「肌吉衆」は手厚く保護されてきました。千年以上も続く伝統の技術は、今も地場産業に生き続けています。